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zoom RSS “OPEN THE HEART, OPEN THE HOME” が「數納賞奨励賞」を受賞しました!

<<   作成日時 : 2008/02/25 10:13   >>

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 10日ほど前でしたが、妻に「數納賞奨励賞」受賞の知らせが届きました。
昨年11月に応募していたものです。マジ君を預かって1年あまりの日常を綴ったものです。
里親・里子という出会いと、その愉しく活気のある日常の営みのありのまま、
それが「數納賞奨励賞」受賞というかたちで、社会的に認められたのです。
「奨励賞」ということなので「これからもっと頑張れよ!」と、叱咤激励されたということです。
 よりいっそうの励みとなったことには違いありません。

ちなみに「數納賞」とは

「昭和51年より実施されている児童健全育成に関する優れた実践報告に対する表彰制度。朝日生命厚生事業団が故數納清氏(当時朝日生命会長)の寄付金を基金として制定。第29回(平成16年度)より、児童健全育成推進財団がこの事業を継承しています。 」

というものです。奨励賞は選外作品なのでこの場を借りて発表させて頂きます。

OPEN THE HEART, OPEN THE HOME
                  ―家庭をなくした子どもたちに、安らぎの場を―  

T タカヒロとの出会い
「こんにちは」と、腰を落として語りかけると、両手をバアツと高く挙げて、飛び込んできた。これが、タカヒロとの出会いだった。しがみついた頭のてっぺんに大きな傷跡があり、「これかあ、やられた痕かあ」という思いで、同行の心理士に目で確かめると、切ない顔でうなずいた。    だっこしたまま、腰掛けて、心理士と話していると、ハッと気付いたように、私から離れて、心理士と私の間に腰掛けた。名前や、好きな食べ物を尋ねると、はっきりと答えた。「バナナ」が好きとのことだった。
「それにしても小さいなあ」と、一時保護所のスリッパをペタペタと鳴らして、心理士と手をつないで戻って行くタカヒロを見送りつつ、4年にも満たない彼の人生の困難さに想いを馳せた。いちもにもなく誰かにだっこされたかったひとつの小さな生命のことを想った。
 私は福岡市の児童相談所で夜間の電話相談員をしている。「櫂より始めよ」との趣旨で職員対象の里親希望調査があった時に「うちはこどもがみな巣立ったし、子ども好きな夫が退職したので」と希望を出していた。
担当のCW(ケースワーカー)の話では、タカヒロの母親は、末っ子で第4子の彼だけを、妊娠時より、受け容れられずにいたということだった。私も4人の子(もう皆成人し、東京、横浜などに住んでいる)がいるので、彼の母の苦しみ、お腹の中の子を受容できない苦しみがいかなるものかを引き寄せて考えられるような気がした。母子手帳の記入欄の字からは几帳面で優しい面も伺えるような気がした。担当者は、被虐待児特有の難しさとして、一旦、感情が暴発すると、収まりどころが、なかなかみつかりにくいことと、保護所では、過食傾向にあることを挙げた。記録には「夕日の色を『気持ち悪い』と言ったりする」ともあった。また不安感からくるものか、病的なものかはわからないが、多動傾向にあることも伝えられた。
夫にそのことを相談したら、「まだまだ、小さいんだから、そんなことは大丈夫」と答えた。彼は長期間患ってきたうつ病のために、養護学校を早期退職し、アルツハイマー型認知症の彼の母親も看ている。                       
 こうしてタカヒロはわが家の姓を名のるようになった。

U 最初の夜、味付け海苔、梅干、おっぱい、2者関係
 職場の同僚の好意で、最初の何日かは、夜をタカヒロと共に過ごした。1日目は夜泣きがあったが、しっかり抱きしめてやると、1時間程で治まった。ただ、ハラハラと、哀しく、切なく泣いた。わがままな感じではなく、誰かの名を呼ぶでもなく。よるべない不安が伝わってきた。「いっぱい泣いていいんだよ。安心して泣いていいよ。」としっかり抱きしめた。「誰だってこんなめにあったら泣きたいよね」と心でつぶやきながら。夜尿はたったの一回のみだった。この頃は、まるでくっつき虫のように私から離れず、トイレにもついてきた。こういうことは家庭養護促進協会の講演会で聞いていたことだった。そのときに「ほとんどの子は味付け海苔にはまる」ときいていたが、タカヒロもそうだった。彼の場合それと梅干だった。我が家には、私の母が手作りした梅干の大きな瓶詰めがいくつもあるのだが、それをしょっちゅう見に行って、うれしそうに「うめぼち、うめぼち」と言った。ちょうどその頃、我が家にある梅の木にも梅がたくさんなった。それを塩漬けにし、土用干しをする。カラッカラになったその梅干を、うれしそうに容器に詰め、来客があると、「うめぼちがあるよ」と、さもご馳走のように自慢げに言ったり進めたりしていた。梅干や味付け海苔にどんな力があって、あんなに引き寄せられるのかは今もわからないままだ。             
 さて、勤務が始まった最初の夜のこと。約束をしていた電話を20時に架けると、「ママー、ママー」と大泣きの声が聞こえてきた。「こういう訳でして・・・」と夫が替わって、苦笑しながら言ってくれたのが、救いだった。夜泣きは、1日目と、誕生会で大興奮した日の夜だけだった。(タカヒロがうちの子になって早々に知人を呼んで、誕生会をした。)      
 このころは、「せんせい」とも私のことを呼んでいた。「ママ」と呼ぶことと、「せんせい」と呼ぶこととが、半々くらいになった頃、入浴時に「おっぱい、おっぱい」ということが多くなり、「おっぱいを吸ったことがないから?」(タカヒロは誕生と同時に乳児院に入れられ、3歳から半年だけ、両親に引き取られている)と思って、「ここからおっぱいが出るんだよ」と乳首を近づけると、「きちゃない(汚い?)、豆みたい」と言って「ここがおっぱい」とおなかのプヨプヨしたところをしきりに触りたがった。お布団の中でも、同様。また、私の手を自分のお腹に直接当てさせて、擦る事を好んだ。(これは1年半近く経った今も続いている。)やはり、お腹には意味があるのだろう。また、2人だけでいるところに夫が入ってくると、入られないように、ドアをバンバン閉めまくったりした。夫は「この子は力がある子、2者関係をしっかり築こうとしている」とタカヒロへの理解を深めていった。
 タカヒロは夫のことは最初から「おとうたん」と呼んでいた。思いっきり「おとうたあん」と呼ぶ対象がいる喜びが伝わってくるような呼び方で。20年近くぶりに、可愛い声で「おとうたん」と呼ばれる喜びが夫をどんどん元気にしていった。タカヒロの好きな「アンパンマン」や「ポケモン」の世界に一緒に連れていってもらったり、里子とアルツハイマー型認知症の母親、という新しい家族との珍道中を「ひょうげもん」というブログで公表したりし始めた。

V タカヒロとアル子さん・フクちゃん
 「ひょうげもん」に「アルツハイマーのアル子さん」で登場する母は、突然のタカヒロの登場に、少々混乱し戸惑いを感じていた。だが、4人の男の子を育て上げた母性で基本的には受容したと言える。保育園から帰ったタカヒロが『ノンタン』とか観ていると、「まあ、可愛いねこちゃんやねえ。」「あらら、あのねこちゃん、大丈夫かねえ」などと、耳元で語りかけるのをやめない。タカヒロは「いまね、僕ね、テレビみよっと」と迷惑そうに伝えるが、意に介さないので、「おとうたあん、おばあちゃんをお部屋にとじこめてえ」と夫に訴えたりする。保育園の運動会の前日の夜は腕まくりをして、「弁当はどうするんかね」と一晩中、何度も起きてきて、肝心の運動会当日はダウンした。アル子さんはタカヒロによって、彼女の中の子どもの部分や母の部分を刺激されているのかもしれない。義母は生来の強迫神経症である。また、戦争の混乱期に元山市(朝鮮民主主義人民共和国・ウオンサンシ)にいた親戚の養女となっていたときに、いじめられた体験から来るものか、時として毒を吐く面もある(「たまげた、たまげた、この子はなんぼでも親と離れて平気じゃが」とか「この子はわが家の血筋じゃないねえ」とか「この子は私を無視するが」など)ので、夫と私は「そろそろくるかな」というところで、隔離政策を執る。アル子さんの部屋には、いつでも、大好きな五木ひろしや美空ひばりがビデオでスタンバイ。「美空ひばりがはじまったよお」で「まあ、このごろはNHKもよお、美空ひばりをするんやねえ」とそそくさと退場してくれる。一方では、「さっき、保育園の園庭におったけえ、係の人(デイサービスの)が、車をとめてくれたら、タカちゃんが『みんなあ、僕のおばあちゃんだよお』って、お友達をよんできたんよお。あたしゃ、もう、嬉しいやら、はずかしいやら」「タカちゃんは、こもうても(幼くても)苦労人やけえ」などの微笑ましい言動もある。
  タカヒロからすると、アル子さんは、お菓子のやりとりをしたり、時には風船で一緒に遊んだり、カルタをしたり、口やかましく自分に注意したりする存在である。だが、私達夫婦がとっている態度から、保護の対象としてみている面もあるようだ。「いってきまあす」の後に必ず「おばあちゃんをたのんだよお」と言うのはそういうことなのだろう。それは私達夫婦がそうさせたのであり、本来なら、アル子さんの持つ可能性を丁寧に引き出すべきなのだが、それには、かなりのエネルギーが要求されるので、現在はデイサービスの方々に「専門的対応」をお願いしている次第である。ただ、そうは言ってもタカヒロはまだこども。「おばあちゃんおはよう」「あさごはんたべるう?」と声かけに行くのはよいが、アル子さんの部屋のテレビでアニメがあってると、ポータブルトイレの横に突っ立って観いっていたりする。一緒に観てくれる存在があることは、アル子さんにとっても心和むことに違いない。私達夫婦にはできないことだ。また、「老い」というものを彼は肌で学んでいるようだ。
「これはおばあちゃんが食べられそうやねえ」「これはおばあちゃんには無理かも・・・」などとよく言う。いつしか、心の中にアル子さんを住まわせているのであろう。良くも悪くも、我が家の4人の実子たちはこのような経験が少ないまま巣立っていった。
  さて、フクちゃんはうちの犬(雌・中型雑種・3歳)である。社会的養護を必要とする子にとって、ペットを飼うというような暮らしには縁がない事が多い。だから当然、動物になじめないことが多い。タカヒロもそうだった。でも毛嫌いするということではなかった。最初の試験的な訪問に心理士とCWと一緒に来た日は、大泣きして怖がったものだが、その後はそおっと様子を見に行って「ねとう(寝ている)」と言っていた。だから、毎日の散歩には必ず一緒に行く。タカヒロはフクのおやつを持参し高く放って、フクにパクッとキャッチさせることにはまった。そこから急速にフクに近親感を覚え始めた。今は「フクッ、フクッ、お座り、お手、伏せ」と、ちょっと、得意げに触れ合っている。今では、フクの喜怒哀楽の表情も読み取ることができる。

W タカヒロと里山
 「こどもには幼少期にまぶたに焼き付ける原風景が大切」という考えで私達夫婦は25年前に、背振山系のふもと近くの現住地に引っ越してきた。ここは空気が澄み切っている。水は背振山系の豊かな水脈から汲み上げた天然水である。夜には「闇」というものが残っており、「街」からやってきた友人たちがいちいち感動するほどに、星も月も美しい。春・夏・秋・冬と、四季折々の自然の恵みを享受する生活を、次世代にも受け継いでいきたいと、大切にしてきたものである。
蛍が、家に舞い込んだりする夜、外から我が家を眺めると、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさなおうち』そのもののようだ。
 幸いなことに、タカヒロは、乳児院で月を観る習慣をつけてもらっていたようだ。夕方、保育園からの帰りによく「おくちたん、おくちたん」と月を指差していたことを夫が「ちょっと感動したよ」と話してくれた。よく3人で月を観る。静かな闇の中で。それだけでなんともいえない喜びと幸せを感じる。人生のスタート時点で、人の一生分相当の苦労を背負わされてしまったタカヒロは、どんな気持ちでこの月をみてるのだろうか?
 また、田んぼや用水路にすむ虫たちを捕食しようといろいろな鳥がやってくる。真っ白な羽と真っ黒な足のコントラストが美しい小鷺がよく訪れる。飛び上がり優雅に空を舞う。ちょうど『ニルスの不思議な旅』のアニメと重なるのか、「あっ、モルテンだ!」「あっ、あれがアッカ隊長!」と興奮気味に解説したり、散歩のたびに「♪おーニルス、その耳をすませてごらんー♪」と大声で唄う。「あの鳥のように自由にはばたいていこうね」と私も大声で唄いながら、切に願う。また、お隣さんは、鶏や、鵜骨鶏や、ちゃぼを放し飼いにしている。彼は早速、いたずらニルスになって、棒を持って追い掛け回す。「ニワトリさんをいじめると、ニルスみたいに小さくなるぞ」と「おとうたん」に言われながらも。
 畑は最初、虫が怖くて、近寄ろうとしなかった。そのうち、種から出た双葉のかわいらしさや、花の美しさに惹かれたのか、夏の朝は「畑行ってみようか」と、私の習慣にタカヒロもつきあうようになった。花が咲き、実がなり、それを食べること一つ一つが嬉しいこととなったようだ。そのころ、「雨がふったけん、花がみんな、喜びよるとよ」と、雲がわき、雨が降り、いかにも、花が喜んでるような絵を描いた。「ママも喜びよると」とニコニコ顔の「ママ」がいた。保育園によく花を持っていく。先生方が「ワアッ、いくつになっても花をプレゼントされるとうれしいねえ。」などと、ものすごく喜んでくれるのが、タカヒロにとっても嬉しいようで、かわいらしくラッピングすることにも心を砕く。花が枯れて、種になると、「これはヒマワリの種」「これはオクラの種」「これはゴーヤの種」などと、分類わけして、来年また、播くことを楽しみにしている。ポピーや金魚草などの信じられないくらい細かい種を手にすると「こんなに小さいのに、なんであんな芽がでて、あんなきれいな花が咲くんかねえ」と不思議がっている。生老病死や、命の連鎖や循環の不思議さの中に、自分もまた生きてるってことを小さいなりに感覚でつかんでほしいと思う。
この頃では、腐葉土集めにもつきあうので、長靴で土をつついたり、掘ったりしながら、「ママ、ママ、みてみて、ここの土はすごいよ。真っ黒でフカフカしてるよ。お花さんたちが喜ぶよ。」と土の良し悪しにも一見識を持っているかのように語る。土集めに行くと、今の季節だと、とかげやかえるが冬眠の準備をしているところを邪魔されたかのように飛び出してくる。軍手をしてると、そういうものも、この頃では、なんとかつかめるようになってきている。怖いものだらけのタカヒロは保育園で何でも平気でつかめてしまうお友達にちょっとでも近づきたいのだ。来た当初はだんご虫さえ怖がっていた。
 我が家ではこの季節は薪割りや薪運びが忙しくなる。薪ストーブの燃料にするための薪の準備は、タカヒロにも分担できる大切な家事の一つである。こども用の可愛い斧で得意そうに割ったり、夫が割った薪を根気よく運んで、積み上げてくれる。この冬は一抱えもある樫の木を、お隣さんから一本丸ごと頂いた。ポンっと割った樹木の中からカブトムシ・クワガタムシの幼虫や、数千匹にも及ぶ蟻の大群が出てきたりすると、虫が怖いタカヒロは心中穏やかではないようだ。しかし、無造作に積み上げられた伐木の上も、彼にとっては興味深い遊び場となり、基地となる。また、“猿山”となったりもする。そうなるとすぐに、「猿山のお猿さん」になっている。
また、里山には食べられるものがたくさんある。今、裏山のふゆいちごは、酸味好きのタカヒロがはまってしまういいお味だ。むかごは山菜おこわにいれるとホクホクしておいしい。「おとうたん」と一緒に菌を植え付けた椎茸や平茸を、毎朝「椎茸見にいこう」と収穫してきて、薪ストーブで炒めたりもする。

X タカヒロと絵本
 我が家の4子が3歳の頃から始めた文庫活動は、やがて20年となる。今は校区の公民館で活動している。『ながくつしたのピッピ』のようにたくましくとの願いをこめ、文庫の名は「ピッピ」。我が家の子どもたちがみんな巣立っていっても、絵本をひらくことは私自身の楽しみになってきており、細々と何人かで続けてきた。校区の養護施設の子どもたちにも声かけしているので時々来てくれる。
 タカヒロは絵本が大好きで、嬉々として、選ぶし、聴き入る。ただ、家に来た当初は、写実的な絵は避けようとしていた。『アンパンマン』とか『ノンタン』などの戯画的な絵のほうが安心できたのかもしれない。現実的、写実的なものが彼にはきつかったのだろうか?今は嬉しいことに、あらゆる分野の絵本に興味を持っている。『ロボットカミイ』とか『ももいろのキリン』などの長いものも、ストーリー展開のおもしろさに魅かれのか、楽しみにしている。夫のブログでも紹介されていることだが、長い本を読み聞かせていて、夫のほうが眠くなって「ちょっと風呂はいってくるけん待っといて。待ってる間に眠くなったら、寝とき」との期待(「この間にきっと眠ってくれるだろう」との)を込めて、入浴し、出てきてみると、おめめぱっちりで待っていたこともあった。『にぐるまひいて』など、19世紀のアメリカの自給自足的な暮らしを静かに描いた絵本を気にいったのは意外だった。地味で説明的な本だったから。「おとうさんが牛もなんもかんも売って、飴を買ってかえるっちゃ」というのが彼の解説だが、牛も近くにいるし、畑を耕すことも身近なことだし、彼がこういう静かな世界を自分の中にもっていることになんだかほっとし、嬉しいとも思う。『うさぎのしま』などのシュールで哲学的な本も何度もリクエストしたりする。幼くても、人生の深いところを体験してきたことが、彼をこういう本に向かわせるのかと、実子では考えが及ばなかった世界に彼は私達を連れて行ってくれる。
また、いとうひろし氏は、私も大好きな作家だが、タカヒロも『だいじょうぶ、だいじょうぶ』から始まって、たびたび選んでいる。
ユーモアセンスや不思議さを楽しむ感覚は、人生に幅とゆとりをもたらすもの。大切に育てていきたい。
 保育園に迎えにいったとき、よく読み聞かせがあっている。彼に目をやると正座し、居住まいを正して集中しており、先生が読み終わると、いとおしそうにその本を持ってきて、余韻に浸っていたりしている。
多動でおちつきがないところは相変わらずだが、物語はしっかり入っている。

Y タカヒロのアイデンティティー
 4歳近くまでの記憶は当然しっかり、彼の中に根付いているようで、
何かの拍子に自らの過去を語り始めることがある。
 夫とふたりで夕食をとっていたときに「僕、まあえ(以前)は、ぜんぜんちがう保育園に行っとった。お友達も先生も、みいんな、ちがっとったよ。」と言い出したので、夫はびっくりして、「ふうん、そうやったんかあ」と返したら、はっとした表情でその話をやめたという。
 「つくしんぼ会」という福岡市の里親会に毎月参加していて、タカヒロは託児でお友達と遊べるのを、楽しみにしている。向かう車中で、初めて、うちを訪問した時にCWや心理士と降りたバス停を見かけると、「僕ここで、おりたっちゃ。お山が見えて、ここに来たっちゃ。木村タカヒロって言うようになったっちゃ。」「前のおうちには、お姉ちゃんもおったよ。1年生やった。前のお父さんとお母さんはいっつもおこったよ。僕ね、つい、おなかがすいて、ご飯食べてしまったと。」と、そこまで聞いて胸がいっぱいになって、「そっかあ」と言って、歌を唄ってしまった。あの時、「今はお父さんもお母さんも、タカちゃんのことがものすごーく大好きで大切。だから、ずーっと一緒にくらしていこうね。」となんで言ってやれなかったのかと悔やまれる。「真実告知」は里親のほうから、切りだすものとのイメージが自分には強かったので、準備ができてなかった。大きな課題の一つである。
 また、彼が育った乳児院から、立派なアルバムをいただいている。そのアルバムには、いろいろ事情はあったにせよ、「あなたは皆に愛され、大切にされて乳児期を過ごしたことを忘れないでね。」というメッセージも込められている。また、現実的には、学校で「自分の生い立ち」の授業があった時などに役立てて、との配慮からだった。アルバムを開いての第一声は「僕、なんでいっつもひとり?」だった。ここにもまた、これからの私達の課題がある。大きな器の人間に育てなければならない。器が大きければ、逆境をも「苦労する権利」と受け止められ、実親の事情も受容できる、赦せるはずだから・・・。 

Z タカヒロネット・・・地域(「むら」や「校区」)の中で
 タカヒロを見守ったり、支えてくれる人が村や校区にたくさんいる。保育園のA先生は、私の25年来の友達であり、タカヒロの保育園での様子をよく教えてくれる。(タカヒロが保育園では「お口で食っていけるよ」というほど、弁が立つということなど・・)。また、なにしろ、歳をとった“おとうたん”と“ママ”なので、「タカくんち、ばあちゃんしかおらんと?」などと言われて落ち込んだときなど受け止めてくれる先生でもある。保育園のお迎えとか、預かりとかもしてくれる。Aさんの子どもで保育士志望のお兄ちゃんが遊んでくれる。
 お隣さんの広々した空き地は、タカヒロの格好の遊び場でもある。放し飼いの鶏を追いかけていても、目を細めて、見守ってくれている。おじさんが捕まえて、わざわざもってきてくれたクワガタは我が家で3ヶ月近く一緒に暮らして先日亡くなった。また、回覧版を持っていくのは彼の仕事で「かいらんばんでーしゅ」と持っていくと、トマトとか卵とかを持たせてくれる。何もくれなかったときには、「なあんも、くれんかったー」と、ちゃっかりしたものだ。タカヒロがうちの子になったときに一番に挨拶に行った。「ワルソーでして」というと「こどもはワルソーでなきゃー!」と言ってタカヒロの頭をなでてくれたものである。

 「きゅうりのおばちゃん」もいる。村の私の友人でもある。「ニルスの歌」を唄って散歩してると、畑からいつも獲れたてのきゅうりをくれるので、こう呼んでいる。「漬物のおばちゃん」、「大根のおばちゃん」、「おいものおばちゃん」でもある。彼女の母親の90歳が近いおばあちゃんも、「愛らしかなあ」といつも声かけしてくれる。
 「きりんのおばちゃん」もいる。有田の陶器市できりんの絵柄の茶碗を買ってきてくれたのでこう呼ばれている。自閉症のお子さんがいる。「人生の試練には意味がある」という人生観の持ち主。「隙間産業」と自称し、あえて学力的に厳しいお子さんを受け持っての家庭教師は評判である。校区の中学校の定期テストの傾向予想はいつも的中するそうだ。タカヒロが中学生になるころまで、ぜひ続けていてほしいものである。
 「お洋服のおばちゃん」もいる。3人男の子がいるので、よく、おさがりをくれる。手編みや手作りの心のこもったものが入っていて、人柄がしのばれる。手作りの「かいまき」には感激した。
 公民館の主事さんは、ご自分も小さい頃、いろいろ事情があって、苦労したということで、ピッピのときによくタカヒロに話しかけてくれる。養護施設の子どもたちが公民館行事に参加できるように心配りも下さる。
 運動会の時、村の色々な方に「この子はあんたにあげんになついてからに、ほんに、愛らしかなあ。」「この子はいっつもニコニコしてからに、ほんに、よか子たいなあ」「人なつこくて、あんた、得ばい」「おらあ、ほんに、こん子が愛らしかあ」などの声をかけていただいた。「木村さん、なかなかできるこっちゃなかばい」という声も、たびたび聞いている。このことばが「やってみたら、楽しいもんばいなあ」に変わるといいなあと思っている。

[ タカヒロネット・・保育園・行政からの支援
 「先々のことを考えると、校区の保育園に入れたい」との私達の希望が、職場(福岡市こども総合相談センター)の里親担当者の尽力で叶い、タカヒロは、校区の公立保育園に通っている。実子たちの同級生の何人かが、保護者として、わが子を通わせており、彼らに混じって、じじ、ばばのようなパパ、ママをやっている。私達は里親であること、タカヒロは、うちの里子であることなど、お伝えしてきた。保護者会の役員も、くじで当たってしまった。保護者会で、先生が「お子さんのいいところ、自慢したいところを仰ってください」と言われた時、「人様が一生かかってするような苦労をしてきたのに、自分の気持ちに折り合いをつけて、いつも、ニコニコしてるところ」と答え、「みなさんのお子さん方とは多分、15歳で中学を卒業するまでの長いおつきあいになると思いますのでよろしくお願いします」とお伝えした。涙ぐんで聞いてくださる方もおられ、後日、若いお母さんから「うちも、わが子が大きくなったら、里親をしたいんですよ」と声をかけられた。
 タカヒロは毎日のように、保育園での友だちとのさまざまな出来事を、語ってくれる。多くの友達と、喧嘩したり、泣いたり、笑ったりする中から、かけがえのない関係性を築いていっているといえる。
 ひとつ、この保育園のこども集団のことで、感心していることを挙げておこう。タカヒロは明るいきれいな色が大好きで、弁当箱もおはしもピンクで統一している。それも、「思いっきり」ピンクである。もしかしたら、「なあん、おまえ、女の色やん」とか、言われるのではと思っていたが、子どもたち同士、違いを認めているのか、平気な顔で、持っていっている。また、先生方は、子ども間のトラブルも、双方の言い分を聞き出して、なるべく当事者間での解決につながるような動きをとっておられるので、トラブル場面での「表現の引き出し」も増えてきたように思う。保育園でしかできないことなので、とても有り難い。心・言葉・体・集団づくりなどで、私達はいい保育園にご縁をいただいたと思っている。
 さて、福岡市は、「市民参加型里親普及事業」を展開している。「こどもNPO」と、「こども総合相談センター」との協働で、社会的養護を必要とする子どもたちが「大切にされる」環境を作っていこうというものである。市民対象の講演会に初めて参加したときに”Open the heart Open the home”というキャッチに心が動いた。虐待脳や愛着についての学習もあり、里子本人たちからの話も聴いた。さらに、福岡では今、「子どもの村」(SOSキンダードルフ)構想が進展しており、家庭を失ったこどもたちを救い、深く傷付いた心身を治療し、実の家族に代わる「新しい家族」をつくって養育しようとする試みが現実化しようとしている。こういう潮流の中でまた、さまざまなご縁をいただくことだろう。「『子どもの村』のこどもたちの親戚になってください」というアピールがあった。楽しみにしている。また、養護施設を出たあとの若者たちの自立を援助していく「自立援助ホーム」作りも進展している。 
 さて、養護施設にも身をおくものとして痛感するのは、社会的養護を必要とする子どもたちはこれまで、実際のところは、社会からも見捨てられてきたのではないかということである。ある講演会で、養護施設のトップの方が「私達はこれまで長い間、社会からネグレクトされてきました。」と言われていた。私もパートではあるが、養護施設にも関わるものとして同感である。文庫活動で得た想いを施設で彼らに還元しようとしても、なかなか難しい。施設に働くひとりひとりは、みんな志のある方ばかりなのに・・・。
 里親推進や子どもの村構想が、施設改善の運動と共になされていくことを願う。なぜなら、施設の子どもたちもまた、「待ったなし」で成長しているし、施設のほうが安心という子もいるのではないかと思うので。

\ 最後に
私の母の母は、母を産んだ後、行方不明となった。つまり、私の母は「社会的養護を要する子」だったわけである。だが、一度だって母の泣き言を耳にしたことはない。「昔は、みいーんな、なんかかんかあったんよ」で生きてきた。我が家のアンでありピッピである。
 私だって「なんかかんか」あった。47歳で甲状腺癌をやって、「死」と向き合った。弟が住職を営む山寺に行くと、中世からの無縁仏がそこかしこに静かに佇んでおられる。私は、安心できないで彷徨う小さな魂のことを思いながら、そっと手を合わせる。
 昔は、「袖すりあうも他生の縁」といって、助けを求める人がいたら、そんなにたいそうに考えずに、できることをしてきたのではなかったかと思う。一旦保護されたら、学校にも通えず、保護所とかに何日もいなければいけないなんてことは、母からしてみれば「誰かこども一人くらいみてやりないや」ということになるのではないか。
 3万人を超える「家庭を失くした子どもたち」が、安心して暮らせる居場所を地域に、と、切に願う。


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
何度も何度も読ませていただきました。
マジくんに寄り添うお父さんお母さん。おばあちゃま。地域の方々。そして自然。
いずれもそれぞれに温かくマジくんを包んでいるのですね。そして、マジくんという存在が回りすべてに光を持ってきているんですね。

私は去年のふれあい里親の反省会で偶然にも奥様のお話をお聞きする機会がありました。

その時の落ち着いた穏やかな話しぶりの中にも、家庭に恵まれないこどもへの強い暖かな思いが伝わってきて、素晴らしい方だなあ。と、感激したことを思い出しました。

とうこ
2008/02/25 23:09
とうこさん
いつも、あたたかいコメントを
ありがとうございます。
ひょうげもん
2008/02/26 09:48
やっと見つけました。
どうしてもこの論文が読みたくて
検索したら、たどり着けました。
奥様にどうかよろしくお伝え下さい。
苫小牧の佐藤です
2008/03/26 16:13
佐藤さん、有り難うございます。
里親という選択もいいものです。こんなに世界が拡がるのですからね。「ひょうげもん」もよろしく。
マジママ
2008/03/26 23:13

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